~ナナと一緒に~

ひとり暮らしの私“ゆみっぺ”と、ミニチュアダックスのナナ&カンナとの日常を綴ったブログです。

父の命日

今日、4月4日は、父が亡くなって丸5年の命日です。

早いもので、来年は7回忌を迎えます。


胃がんで亡くなった父ですが、告知して良かったのかどうか、今でも疑問に思う私です。

さすがに余命までは伝えませんでしたが、父は感じ取っていたようで、兄には亡くなった

後のことを託していたそうです。


そのことを聞いた時、言わなければ良かった、と後悔しました。

どんなに怖かっただろう、辛かっただろう。。。

言われた本人にしか解らない感情を抱かせてしまったことは、罪だとさえ思いました。


でも、抗がん剤治療をする以上は、告知しなければなりませんでした。


全摘したはずの胃が、身体に残っていたことで、やはり感じ取られてしまったでしょう。

初期の癌だったはずなのに、開けてみたら“腹膜播種”を起こしていた末期がんとは。。


再入院して亡くなるまでの1ヶ月間、毎日病院へ見舞った私でしたが、父が喜んでくれた

ことがせめてもの償いです。


“お父さん、そっちで元気にしていますか?”

“こっちは、お母さんもみんなも元気です。いつか会おうね~。”




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  1. 2014/04/04(金) 23:41:32|
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父の一周忌

今日は、亡くなった父の一周忌でした。

もう1年経ったのかと、月日の早さに驚かされます。

父は、入院していた病院で亡くなりましたが、亡くなってからというもの

後悔の念に駆られていました。

入院中の父に、あの時こうしてあげていればとか、どうしてあんなことした

んだろうとか、病人の立場でないと判らないことも多々ありました。


人間であれ、動物であれ、生きていた、あるいは生きているものに対して

は、常に“後悔”の気持ちを持つものだなぁ、と改めて思い知らされます。


父は、余命1ヶ月の末期がんの状態で再入院しましたが、本当に苦しんだ

のは、亡くなる前の10日間くらいだったと思います。

食べ物も喉を通らなくなり、ちょっとでも食べると吐いてしまう。

栄養剤の点滴で命を繋いでいましたが、点滴の水分で腹水が溜まり、苦しい

思いをする毎日。

腹膜全体に広がったがん細胞は、父を苦しめていました。


医師の勧めもあって、モルヒネ注射を打ち始めたのは、亡くなる一週間ほど

前でした。モルヒネは、意識障害と呼吸障害を起こすと説明を受けましたが、

痛みで苦しいよりは、と母と私のふたりで決めました。


説明のとおり、最初に意識障害が始まり、たまに目を開けるだけで、会話が

出来なくなりました。その後は、ずっと眠ったまま。

後になるにつれ、呼吸が一時的に止まったりして驚いたり。。眠ったまま

苦痛に顔を歪める父に対し、モルヒネの量も増えていきました。最初の頃は、

少ない量で時間を掛けて、でしたが、最期は量も多くなり短い時間での点滴

でした。


ただ、父が亡くなった後で感じたことは、ガン患者の最期というのは、結局、

栄養が摂れなくなっての“餓死”か“投薬の副作用”が直接の原因で亡くな

るのではないか、ということです。

点滴での栄養なんて、1袋わずか200キロカロリーです。成人男性が一日に

必要なカロリー数から計算すると、病人で寝たきりだとしても5~6袋は必要

です。

でも、1日3袋程度の点滴でしたので、当然栄養不足です。その状態が長く

続けば、体力も無くなり、病気に勝てるはずがありません。


モルヒネにしても、投与した途端に意識が無くなり、呼吸にも支障を来たし

ます。

まさか、意識障害の程度が、全く会話が出来なくなるということとは思って

もみなかったので、父と最後に交わした言葉は何だったっけ?と思うほど

でした。

こんなことなら、意識があるうちにもっと会話をしておけば良かった、と

後になってまた後悔。。


こんな風に、モルヒネ投与の前後では、全く状況が違っていました。

でも、使わなければ本人は苦しいだけです。仕方の無いことだけれど、

現実を見せつけられました。


何だか、重い話になってしまいましたが、書き残しておきたかったことを

綴ってみました。このブログを見て、ちょっとでも参考になる方がいらっ

しゃれば幸いです。



  1. 2010/04/04(日) 23:11:21|
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父が旅立ちました

平成21年4月4日、午前11時23分、闘病中の父が永遠の眠りにつきました。

病室に泊まり込んでいた母と、電話をもらって駆けつけた私だけが、父の最期を

看取ることが出来ました。

父が静かに息を引き取ったのは、私が到着した30分後でした。

生前、“誰も傍に居ない時に、逝きたくない。”と言っていた父でしたので、私が

来るまで懸命に頑張ってくれていたのだと思います。

その後駆けつけた兄や叔父叔母は、間に合うことが出来なかったけれど、独り

きりで逝かせることは無かったので、父も幸せだったと思います。


生まれて初めて立ち会う“人間の死”。

私達家族は、尊厳死を望んでいましたので、父の静かな最期の時をとても

清らかで尊い気持ちで迎えることが出来ました。


沢山のお友達から、お悔やみのお言葉をいただき、本当にありがとうござい

ました。

父は、これからも私達家族のことを、遠くから見守ってくれると思います。

いつかは訪れる親子の別離ですが、長生きしてくれた父に心から感謝して

います。


また、落ち着いたら、ブログ更新しますので、宜しくお願いします。



  1. 2009/04/08(水) 10:54:59|
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父の容態

朝の9時過ぎ、仕事中の携帯に母から電話が入りました。

父が入院している病院から電話があり、担当医師から呼ばれたとのこと。

母だけでなく、他の家族の者も同席して、今後の治療のことで話がしたい、

と言う内容だったとのことでした。


土曜日に、父を診察した別の医師から、腹水のことや、抗がん剤治療の

中止をほのめかされていたので、大体の予測はついていました。


職場を一時的に抜けて、実家へ母を迎えに行き、病院へと向かいました。

父は、昨日のうちに消化器病棟へ移動していて、既に個室に入っていました。

丁度、カンファレンス室が、父の部屋の真向かいなので、父に気づかれない

ように、静かにその部屋で担当医師を待ちました。

もし、私まで呼ばれたことが父に知れたら、神経質な父のこと、余程悪い

状態なのだと思われてしまうからです。


いつも、カンファレンス室に呼ばれる時は、20分~30分待たされるのですが、

今日は5分ほどで入室、医師との話が始まりました。


内容は、予測していたとおり、腹水が溜まり始めたので、今までの抗がん剤

は効かなくなっているとのこと。お腹が張っているので、食欲が無かった為に、

栄養が足りていないこと。その為に、栄養剤の点滴をするけれど、次の抗が

ん剤を投与する体力がないこと。もし、体力が回復したとしても、次からの抗が

ん剤はかなり副作用が強く出るとのこと。吐き気や発熱等で、苦しい思いを

するので、身体の衰弱が進むこと。例え、次の抗がん剤を投与しても、半年も

1年も生きることは出来ないとのこと。それが解った上で、抗がん剤治療をする

のかどうかを家族で決めて欲しい、ということ。腹水が、利尿剤等で抜け切れ

ない場合は、お腹に管を刺して排出させること。但し、腹水を抜くと言うことは、

身体の栄養分まで出てしまうので、身体が衰弱すること。県立病院は、救急

患者の病院なので、抗がん剤の治療を止めるのであれば、緩和ケアセンター

への転院を勧めます、とのこと。緩和ケアの病院では、治療行為はしないとの

こと。また、癌の患部やお腹の張りの痛みがあるので、今日から、モルヒネを

投与していること。 今の父の容態は、末期症状であること。。


そんな話を聞きながら、ああ、父はもう、3ヶ月位しかもたないのかもしれない、

と、現実と非現実の間を彷徨っている気持ちでした。

私の両親は、ふたりとも長生きをしてくれているお陰で、私自身、親と言うのは、

居て当たり前、という生活でした。どちらかが居なくなるなんて、信じられない

思いです。


担当医師とは、“今後、抗がん剤の投与はしない。但し、次の抗がん剤に耐え

得る体力が戻った時には、その時にどうするかを判断する。”との結論を出し

ました。


そして、父に気付かれないように、そっとカンファレンス室から出て、母だけが

父の病室に入り、私は、そのまま職場へと戻りました。


仕事を終えて、改めて病院の父を見舞い、ベッドに横たわる父のお腹を見ると、

大きく張り出していました。痩せている父なので、すぐに判る状態でした。

1週間前の日曜日、実家へ行った時は、お腹が張って食欲が無いと言っていた

父ですが、便秘をしているので、ガスが溜まっているのだろう、くらいにしか

思っていませんでした。それまで、散歩に出たり、フリーマーケットに行って

みたりと、結構動き回っていた父だったので、まさか、腹水が溜まり始めて

いたとは。。食べた直後はきつい、と言っていたので、胃の消化の為にも、

横になっていたらいいよ、と助言をしていた私です。


もっと早く、病院で診てもらっていたら。。。と悔やまれます。

でも、腹水は次々に溜まってくるらしく、改善することは難しいようです。

父の体力を考えても、容易に回復は出来ないと確信しました。


父は、看護士さんから、腹水は2週間程度で抜けるから、その後は退院

出来ますよ、と言われたらしく、今から退院のことを考えている様子でした。

そうなることを、願うばかりです。


病院を後にして、遅い帰宅をすると、ナナとカンナの出迎えを受けた私。

珍しく、ケージの中に入ったままのナナは、カンナと一緒に吠えまくって

いました。ナナは、いつもおとなしく私を出迎えてくれる子なのに。


父とは対照的に、ナナは回復に向かっています。まだまだ、後ろ足は千鳥足

ですが、確実に良くなって来ています。

ブロ友の皆さんには、大変ご心配をお掛けしていますが、これからも見守って

いてくださいね。宜しくお願い致します。

  1. 2009/03/09(月) 23:39:22|
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今度は、父が。

今朝のナナは、夜中の3時半頃から動き出しました。

トイレシートでの排泄です。わりと自由に動けるようになってからは、排泄の

回数も増えています。昨日は、昼間、ケージのシートの上でしてくれてました。

それまでは、昼間はずっと我慢していたナナです。


今日は、仕事休みなので、実家へは行かずに、家の中で過ごす予定でした。

そう思っていた矢先、午前9時半前に実家の母から電話が入りました。

ちょっと嫌な予感がしていたのですが、案の定、父の具合が悪いらしく、病院へ

電話をしたら入院の準備をして来て下さいとのことで、連れて行って欲しいとの

内容でした。


この間、日曜日、実家へ行った時、父はお腹が張って痛いらしく、食欲が無いと

言ってました。私は、また便秘になっているのだろうと、それ程気に留めず、

食べた後は、横になっていたら、消化を助けてくれるから、とアドバイスをしま

した。


ナナとカンナを残し、実家へ迎えに行き、掛かり付けの県立病院へ。

今日は土曜日なので、救急受付扱いで診ていただきました。掛かり付けの医師

がお休みらしく、別の医師に処置していただいたのですが、私と母も呼ばれまし

た。医師とのカンファレンスです。

「お腹に水が溜まっています。もう、癌の末期症状です。抗がん剤治療は中止

します。少し栄養失調になっているので、栄養剤の点滴をしますが、腹水が溜ま

る要因にもなるので、あまり栄養剤の点滴も出来なくなります、今後は、痛み止

めを出すことになります。」との言葉でした。


昨年の4月頭に胃がんの手術をして、開腹だけに終わった父。その時点で、

余命3ヶ月と宣告されていましたが、これまで1年間頑張ってくれました。

余命宣告の時に、もしかすると1年くらいは大丈夫かもしれない、様な発言も

いただきました。

でも、その時期が来てしまったわけです。栄養が摂れなくなれば、当然体力も

落ち、死に繋がります。


カンファレンスを受けている最中、携帯の電源を切り忘れていた私に、北海道の

ナナままさんから電話をいただきました。

ブログでナナのことを知ったナナままさんが、心配して電話をくださったのです。

医師の話は、殆ど聞いた後だったので、私だけ部屋を出ました。


そして、ナナままさんとお話しをすると、生前のももちゃんもヘルニアに掛かった

けれど、手術もせずに治ったとのこと。色々と励ましのお言葉をいただき、嬉しく

なりました。もしかすると、ナナは父の身代わりでこんな状態になったのかも、

というお話しには、私も納得しました。私は、ナナが私の代わりに何か不幸な事

を背負ってくれたのだと思っていましたが、そうか、父の代わりだったんだ、と。

ナナは、父のことが大好きです。そして、父も。

そんなふたりで、今の状況を共存していたのかもしれません。


母に、ナナのことで電話をもらった話をすると、有り難いねと言ってくれました。

本当に、ナナが突然こんなことになり、父まで悪くなるなんて、どうして、こんな

試練があるのでしょう。


点滴を受けている父と、付き添っている母を残し、一旦自宅へ戻って家事をして

終わるとすぐに病院へ。

とりあえず、土曜日の入院なので、救急病棟へ回されました。正式に入院する

部屋は、月曜日に決まるようです。


父は、食欲が無いと言っていましたが、私が買って行ったおまんじゅうは食べて

くれました。以前から、食欲は無くても、甘い物は食べられるといっていた父

です。結局、好きな物は食欲に関係なく食べられる、と言う事でしょう。


病室には、午後3時半まで付き添い、母と一緒に病院を後にしました。

私も、母を実家へ送り届けると、すぐに自宅へ戻りました。明日も、連休のはず

でしたが、事務所留守番役の社員が福岡の展示会を見に行くことになり、私が

代わりに出勤です。ナナの状態もあり、連休だと良かったのですが、結局1日

だけの休みのうえに、父のことで半日つぶれたので、何も出来ず仕舞いでした。


何もする気力も時間も無い。。そんな1日でした。

  1. 2009/03/07(土) 23:59:59|
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